シンポジウムで感じた可能性と問い
シンポジウム推進メンバーのゆうです。
昨日、おかげ様で無事にシンポジウムを終える事ができました。
参加者の皆様、お忙しいところご来場頂きありがとうございました。
皆様のご協力のお陰で滞りなく円滑な運営ができ、とても感謝しております。
先の記事に、シンポジウムの様子が掲載されていますが、それを見て頂くと改めて昨日に得られたものを振り返る事ができると思います。
私も、自分なりに感じた事を書いておきたいと思います。
推進メンバーが会場で撮影した写真の中で、私が最も心を惹かれたのはこの写真です。
誰もいない何も無い、空っぽの会場の写真。
参加者の皆様が帰られた後、全てを撤収した後の光景です。
なぜ、私がこの写真に心を引かれるのか?
そこに、大きな「可能性」と「問い」が感じられたからです。
約1ヶ月前、私は推進メンバーと一緒にこの会場へ下見に来ました。
その時は、当然ですが、この写真と同じように何も無い空っぽの空間でした。
それから、推進メンバー全員が対話をし作業をしたり交渉をしたりしながら準備を進め、昨日、みんな(参加者の方々も含め)で、新たな対話の場を創りました。
そしてまた、私たち推進メンバーの手で椅子や機材・備品の全てを撤収し、空っぽの空間に戻しました。
つまり、何が言いたいかというと・・・。
私たちは、善き対話の場を創造する事も撤去する事も、そう願えば実現する事ができる。
なぜなら、私たちは物事を実行する力(Power)と、それを支える愛(Love)の両方を元々持っているから。
ここで言う「私たち」は、もちろん参加者の皆様も含んでいます。
シンポジウムの場を共有した人であれば、上の言葉に説明は不要ではないかと思います。
ちょっと大げさかも知れませんが、昨日のシンポジウムは、私たちが持つ大きな可能性の証明だったように思います。
そして、撤収後の会場の写真を見ていると、次のような問いが心に浮かんできます。
もし、この会場が「世界」だとしたら、次はそこにどのような「場」を創造するのか?
私たちは、昨日、それぞれ「出現する未来」へのヒントを得られたと思います。
先の記事でも紹介していますが、昨日のシンポジウムの終了後に家庭に戻って、その場で気付いたことについて会話をはじめた方もいらっしゃいました。
私たちは、それぞれ世界の中の一定の場所で暮らしています。
家庭や職場など色々な場所があります。
もちろん、そこには既に成り立っているものはあるのですが、それはより善き方向に変えたいと思えば、変えられるもなのだと思います。
そうは言っても、日常に戻ると熱が醒め、「結局何も変わってない」と感じる時があるかも知れません。
そんな時は、こんな話を思い出してみるのも良いかも知れません。
推進メンバーの一人が教えてくれた、「シンクロニシティ」という本の一節です。
「雪のひとひらの重さはどれくらいかな」シジュウカラが野バトに聞いた。
「重さなんてないよ」ハトが答えた。
「じゃあ、おもしろい話をしてあげる」シジュウカラが言った。
「モミの木の、幹に近い枝にとまっていると、雪が降りはじめた。激しくはなく、吹雪のなかにいるような感じでもない。そんなのじゃなくて、傷つくことも荒々しさもない、夢のなかにいるような感じの降り方だった。ほかにすることもなくて、ぼくは小枝や葉に舞い降りる雪をひとひらずつ数えた。やがて、降り積もった雪の数は正確に三七四万一九五二になった。そして三七四万一九五三番目の雪が枝の上に落ちたとき、きみは重さなんてないと言うけど・・・枝が折れた」
そう言うと、シジュウカラはどこへともなく飛んでいった。
ノアの時代以来その問題に関してとても詳しいハトは、今の話についてしばらく考えていたが、やがて独りつぶやいた。
「もしかしたら、あともう一人だけ誰かが声をあげれば、世界に平和が訪れるかもしれない」
先にも書いたように、私たちは、対話の場に限らず、様々なものを創造できる力(Power)と愛(Love)を持っています。
でも、一瞬で全てを変えようとするのは難しいと思います。
パネラーの遠山さんも、Soup Stock Tokyoの事業を黒字化するまで8年かかったと言っていました。
「出現する未来」の実現に向けて、焦らずに時間をかけて、楽しみながら小さな行動を積み重ねていけば、意外とイケるんじゃないか?
ちょっと楽観的過ぎかも知れませんが・・・(笑)
私は、シンポジウムを終えた後、なんとなくそんな風に感じました。
皆様のそれぞれの場所で、こんな樹が育っていけば良いですね。
また、皆様にお会いできる機会を楽しみにしています!